出来てしまったシミ用の化粧品というと、ファンデーションなどのシミを隠すために使う化粧品をイメージする場合もあると思いますが、シミを薄くする目的の化粧品というものもあります。
当然化粧品なので処方箋などはいらずに気軽に購入できて、自宅で自分で使用できるというところが利点です。
シミは気になるけど専門のクリニックに行ったりレーザー治療を受けるほど悩んでいるわけではない、という人に向いているのがこういった気軽に使える化粧品です。
一番気になるのが「本当にこれでシミが消えたり、薄くなったりするのか」という部分だと思いますが、残念ながら大きな期待はしない方がいいです。
少しでも薄くなってくれればOKくらいに考えておきましょう。
ネットでこういった化粧品のレビューなどを調べてみたところで、結局みんな言っていることが違うので参考にならないんですよね。
無料サンプルをもらった人は悪いレビューを書きにくいとかそういう事情もあるでしょうし。

というわけであまり大きな期待はしない、でも気軽に使えるので試してみる価値はあるというのが私なりの結論です。

シミ用化粧品にはハイドロキノン配合のものとそうではないものの2種類があり、ハイドロキノン配合の方が肌への影響が強く、少し注意して使う必要があります。
例えば

  • 腕などの目立たない部分でパッチテストを行って、異常がなければ顔に使う
  • ハイドロキノン配合化粧品を使用している期間中は、いつも以上に紫外線カットを心がける
  • 化粧品を塗るのはなるべく紫外線の弱い夜にする
  • 1か所への長期間使用は避ける
  • 皮膚に疾患がある人は事前に医師に相談する

このような注意点があります。

肌に合わない状態で使い続けたり、使用上の注意をきちんと守らないと白斑という症状が出る場合もあるので、特に初めて使う場合には一層注意して使いましょう。

ハイドロキノン配合のシミ用化粧品には一例として「アンプルール ラグジュアリーホワイト コンセントレートHQ110」という商品があります。
参考サイト:アンプルールの出来てしまったシミ用化粧品

レディースファッションアイテムを買えるお店というのはもう数えきれないくらいありますが、通販で服を買ってみたいというのためにプチプラで買えるレディースファッション通販サイトについて書こうと思います。

レディースファッションの通販サイトについてはこちらのサイトがとても参考になると思うので、こちらのサイトもぜひ見てほしいと思います。
>>安くて可愛いレディース服通販

一言で安くて可愛い服といっても年齢や個人の好みによって気に入る服は違ってくるはずです。
そういうわけであくまでも参考程度に読んでください。

10代や20代で流行のファッションアイテムを安く買いたいならGRL(グレイル)がいいと思います。
とにかく今流行のファッションアイテム全般をとても安く買えるショップです。
特にファッションの系統に強いこだわりが無ければ、気に入ってもらえると思います。
リアル店舗というのは無くて通販限定のショップなのですが結構人気がある定番のショップです。
服だけではなくバッグなども可愛いのものが安く買えるので狙い目だと思います。
夏はグレイルの浴衣にも注目です。
夏祭りや花火大会に浴衣を着ていく予定がある人はグレイルの浴衣もチェックしてみてください。
浴衣×帯×下駄の3点セットで何と3999円という安さで、しかも浴衣の柄によってはさらに値引きされています。
浴衣の柄はかなりの種類がありますが、人気の柄は時機に売り切れていってしまうと思うので早めの購入をおすすめします。

年代を問わず幅広い世代におすすめなのがpierrot(ピエロ)という通販サイトです。
ショップが想定しているメイン顧客層は30代以上の大人女性だと思うのですが、シンプルなデザインのアイテムが多いのでコーディネートをうまく考えれば10代や20代の人でも十分に着こなせます。
扱っているアイテムの値段はとても安いです。
私服はもちろん、OLさんの通勤服・仕事用の服などオンオフ問わずに利用できるショップです。
シンプルな服はコーディネートが難しい部分もありますが、サイト内では販売アイテムをおしゃれに着こなすためのコーデ例が豊富に提案されていますのでそれを参考にするといいと思います。
しかし、既に書いた通りショップが想定しているメイン顧客層は30代以上だと思うので、コーデ例もその大人年代向けのものになっています。
10代の人などがそのまま真似するのはちょっと難しいかもしれません。

宮本百合子3

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 みなさまはこの数日来、卒業し、送別会、上級学校の新入生としての歓迎会と、若々しい人生の一つの門から他の門へとおくぐりになりました。その間に、いろいろのことをお感じになっていることと思います。そのさまざまな感じのなかで、きょうに生きる若い女性として一番痛切に感じていらっしゃることは何でしょうか。
 専門学校を卒業したかたは、それぞれ就職のために忙しい日を送られたでしょう。就職しない方の気持にはどんな思いがあるでしょうか。この間から、わたくしはたびたびこういう不安をききました。やっと家のものを説得して専門学校は出たけれども、出てから先の生活を考えると、何ともいえない心持がして来る、だって、その先にある生活は、もう大体わかっているんですもの、と。そういう述懐をもっている方は、きょうの会に来ていらっしゃる方々の中に一人もないでしょうか。女学校を卒業する人からの手紙で、一番心痛の種になっていることは、もっと何か勉強したい自分の心と、お嫁入りということだけを先に見ていて、洋裁でも稽古していればそれで十分だと考える親たちとの意見のくいちがいです。この二つの悩みのどっちをとってみても、きょうの若い女性がどんなにゆたかな進歩した人生を欲しているかという事実と、反対に、日本の社会の現実はまだなかなか若々しくどこまでも伸びようとする女性のねがいの枝を撓める状態におかれているという現実を語っていると思います。

 この八月十五日には、四回目のポツダム宣言受諾の記念日がめぐってくるわけです。その記念日にあたって、わたしたちが力をつくして闘い、抵抗しなければならないのが国の内外にあらわになって来ているファシズムであり、戦争挑発であるということは、実に感慨無量のことです。
 日本のファシズムは、本年に入ってから、特に国鉄をはじめとして大量の人員整理をはじめてから、ひどい勢いで各方面で人民生活をかみやぶりはじめました。
 わたしたちの民族独立への希望や、文化の自立への希望――つまり独立した社会人として当然に抱いている生活におけるすべての希望は、ファシズムとの闘いなしにはうちたてられないことを痛感しているわけですが、それにつけてもわたしたちは日常生活の中におこってきているファシズムのこんにちの日本独特のやり方について、こまかく見きわめる必要があると思います。
 ファシズムというと、わたしたちはすぐ戦争中のままの形で超国家的な大川周明の理論や、憲兵の横暴や、軍部、検事局その他人民を抑圧した天皇制の機構全体を頭にうかべて、なんとなしその全体に体当りで抵抗するのがファシズムへの抵抗という感じをもって来ていると思います。さき頃の映画の東宝問題というものがでると、誰にもファシズムの反動文化政策というものが分るし、まして、この頃のような社会情勢に対してファシズムの圧力を感じ、それに対して反対の声をあげない人はありません。三鷹事件、下山事件の新聞記事の扱いかたなどにしてもファシスト的な挑発の調子がつよいとみんなが感じている。

 この頃いったいに女のひとの身なりが地味になって来たということは、往来を歩いてみてもわかる。
 ひところは本当にひどくて、女の独断がそのまま色彩のとりあわせや帽子の形やにあらわれているようで、そういう人たちがいわば無邪気であればあるほどこちらで何となし顔のあからむような思いもないことはなかった。たとえば帽子の型のある奇抜な面白味というようなものは、それを頂いている顔に漲っている知的な趣、体のこなし全体に溢れる女としての複雑な生活的な勁さ、ニュアンスなどとあいまって美しさとなるのだから、体の生活的感覚はそういうものからずっとおくれているのに、頭の上にだけそんなかたちがのっていると、みじめな滑稽があった。
 そういう眺めはこの頃の往来にはなくなった。また、たくでは近頃景気がいいんですのよ、という風体だった細君連も、ちがった姿となっている。
 そして、これらの変化にはやはり贅沢禁止のいろいろな運動が役にたっているにちがいないのだろう。街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、女は自分の帽子なしで往来を歩いていても不思議がらないような日々の感情になって来た。

宮本百合子2

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 昨今のように、一般の社会状勢が息苦しく切迫し、階級対立が最も陰性な形で激化しているような時期に、鬱屈させられている日常生活のせめてもの明るい窓として、溌剌として、新しい恋愛がどことなし人々の心に翹望されていることは感じられる。しかも、社会の現実は進んでいて、往年の情熱詩人、与謝野晶子が「みだれ髪」に歌ったような恋愛の感情は、今日の若い人々の心には住み得ない。ましてや「万葉」の境地においておやである。中産階級の急速な貧困化、それにともなって起っている深刻な失業、インテリゲンツィアの経済的、精神的苦悩は、実際にあたって、恋愛や結婚問題解決の根蔕をその時代的な黒い爪でつかんでいるのである。この事実を痛切に自覚しない若者は、恐らく一人もないであろう。
 まず根底をなす社会機構が、もっとすべての人民にとって人間的に生きる可能性を与えるようにならない限り、窮極は社会関係の最も綜合的な表現である恋愛や結婚の問題が、人類的な規範で、各人の幸福にまで発展せられないこともまた大多数の人々に、はっきり理解されていることであると思う。けれども、歴史がそこまで進む過程は実に単純でなく、容易でなく、多くの堅忍が要求される。今のように表面的にはそういう新たな歴史の建設的推進力が見にくくされているような時期には、窮乏化する小市民インテリゲンツィアが、確信をもって新たな次代の階級へ自身を移行させることが困難であると同様に、恋愛や結婚の実際に当っても、本質的な発展は非常にされにくい状態にある。だから、気分的には新たなつよい、晴やかで情趣深い恋愛が求められているとしても、男女の社会関係の実体は、ふるい世界の鎖にからみつかれている有様である。

 このたびのアメリカ大統領選挙は、まったく世界の広場のまんなかで、世界じゅうの注目をあつめて、たたかわれた。どこの国でも日本のように共和党の候補者デューイの当選が確実だと、あれほど宣伝されていたのだろうか。日本での宣伝はひどかった。十一月三日の開票日の前日、日本の代表的な新聞はデューイ氏当選確実、共和党早くも祝賀会準備と、まるで丸の内あたりでその前景気をみてでもきたように書きたてた。
 ところが、開票の結果は予想がうらぎられた。民主党のトルーマン大統領が再選した。トルーマン大統領の再選は世界各国の一部の人々には大番くるわせであったらしい。各新聞は、最大の形容のことばをつかって、その番くるわせについて書きたてた。けれどもそれらの記事は、おちついて読むわたしたちに滑稽な、またいくらか腹だたしい感じをあたえた。なぜといえば、トルーマン再選を奇蹟的だの意外だのと書きながら、一方でその新聞は、トルーマンは彼の困難な選挙活動のはじまりから、非民主的だった第八十議会の実状を率直に訴えれば、アメリカ市民は彼に協力するにちがいないという十分の確信にたっていた、といっているのだから。それほど、前から、たとえ主観的なものであるにもしろ政治家としてのトルーマンの確信がはっきりわかっていたのなら、日本の公器であるはずの日本の新聞が、どうして公平に記事を選ばず、デューイ当選を、まるで既定の至上事実のようにわたしたちに宣伝しなければならなかったのだろう。

 昔から躾というと、とかく行儀作法、折りかがみのキチンとしたことを、躾がよいといいならわして来ました。しかし、今日の生活は遑しく、変化が激しく、混んだ電車一つに乗るにしても、実際には昔風の躾とちがった事情がおこって来ています。しとやかに、男の人のうしろについて、つつましく乗物にのるのが、昔の若い女性の躾でした。
 毎朝、毎夕、あの恐しい省線にワーッと押しこまれ、ワーッと押し出されて、お勤めに通う若い女性たちは、昔の躾を守っていたら、電車一つにものれません。生活の現実が、昔の形式的な躾の型を、押し流してしまいました。
 けれども、私たちの心には、やはり美しく、立派な生きかたをしたいと思う念願は、つよくあります。そうだとすれば、新しい躾の根本は、第一に、毎日の荒っぽい生活に、さらわれてしまわないだけの根深い根拠をもつものでなければならないということが分ります。そのように、しっかりした躾は、どこから、生れて来るものでしょうか。

 親が子供を躾けるとき、先ず願うことは、体が丈夫であることの次に、正直な、公明正大な人間になって欲しいということであると思います。
 子供たちが、正直な、公明正大な人間となってゆくために、果して現在の社会の有様は、ふさわしいものでしょうか。

 子供たちが、いつもおなかをすかしていなければならないという、事情一つを考えてみても、子供のためによい社会の状態であるとは、いいかねます。国民学校の教育も戸惑っている形ですし、住宅難の問題もあり、子供は可哀そうに、悪くなってゆくどっさりの条件の中に、さらされております。

宮本百合子

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 ともかく日本にも民主憲法ができた。明治二十二年にできた旧憲法では、支配する者の権力がどんなに絶対であり、人民はどんなに絶対従順にそれに服従しなければならないかということが眼目としてつくられていた。これは欽定憲法と呼ばれている。ここでは服従すべきものとして人民全体が扱われていたから、昔から男性に服従すべきものとして考えられていた婦人の社会的地位の改善などということはまったく眼の中に入れられていなかった。今度改正された憲法は、その中に、すべての人民は法律の前に平等であるとされていて、性別身分などの特権によって特別な利益を保護されることはないように規定されている。しかしその中に天皇という特別な一項がある。華族は世襲でなくなったが、天皇の地位は世襲であり、性別如何にかかわらず法律の前には平等であるといわれていても、天皇の一家の子供は、昔ながらに長男がその地位を継承するものときめられている。女子は差別されている。そのほか経済上、政治上において天皇という身分上の特権は十分に保たれている。主権在民という憲法にこういう矛盾が含まれていることは日本の歴史の特殊性である。ちょうど人間が胎児であったとき、その成長の過程で、ごく初期の胎生細胞はだんだん消滅して、すべて新しい細胞となって健康な赤ん坊として生れてくる。けれどももし何かの自然の間違いで、胎生細胞がいくつか新しくなりきらないで、人間のからだの中にのこったまま生れたとき、成長してのちある生物的な条件のもとで、その細胞が異常な細胞増殖をはじめる。そしてそれは癌という致命的な病気の名をつけられている。私たちは歴史の中にも、社会の伝統の中にも、日本らしいこういう矛盾、胎生細胞をもっていることについてまじめに知り、考えなければならないと思う。

 日本に、言葉の正しい由緒にしたがっての、アカデミア、アカデミズムというものが在るのだろうか。徳川幕府のアカデミアであった林氏の儒学とそのアカデミズムとは、全く幕府の権力に従属した一つの思想統制のシステムであった。幕末の、進歩的な藩に置かれた藩学校は、当時表面上は幕府法律で禁じられていた英、蘭学の学習を秘密に行ったり、「万国」の事情に精通しようとする努力を示した。それは、たしかに幕府政治の無力を知り、封建制におしひしがれている社会生活について沈黙しているにたえなくなった「人智の開発」であり、明治に向う知識慾であったにはちがいない。しかし、これらの藩学校は、藩という制度の枠にはまっていた本質上、当時の身分制度である士農工商のけじめを脱したものではなかった。「士分の子弟」の智能開発が藩学校での目的であった。この性格は、士分のものが来るべき「開化」の担当者であるべきだという見通しに立ったものであった。そして、明治維新という不具なブルジョア革命は、事実ヨーロッパにおけるように市民による革命ではなくて、下級武士とその領主たちが、一部にふるいものをひきずったままでの近代資本主義社会への移行であった。明治維新の誰でも知っているこういう特質は、「四民平等」となって、ふるい士農工商の身分制を一応とりさったようでも、数百年にわたった「身分」の痕跡は、人民生活のなかに強くのこりつづけた。明治文学の中期、樋口一葉や紅葉その他の作品に、「もとは、れっきとした士族」という言葉が不思議と思われずに使われている。この身分感は、こんにち肉体文学はじめ世相のいたるところにある斜陽族趣味にまで投影して来ているのである。

 いよいよきたる十二月十日から一週間北京でアジア婦人大会がひらかれます。そして日本からもそこに出席するために代表がえらばれました。これは現代の人類の歴史にとって深い深い意味をもつ新事実です。
 世界地図をひらいて、アジアを眺めましょう。まず、アジアの北の広い部分を占めてソヴェト同盟の、いくつかの民族自治共和国をふくむ地域があります。広大なその地域と、これもまた広い中華人民共和国との間にはさまっているために、せまいように見える蒙古人民共和国があります。三十八度線を区ぎりとして、北朝鮮の人民共和国が見えます。その東に、太平洋に弓なりにかかって、わたしたちの祖国日本があります。
 けれども、今日アジアの地図の中に見る日本は、わたしたちの心を苦痛でみたします。ソヴェト同盟の国境、朝鮮、満州をふくむ中華人民共和国、ビルマ、シャム、マライ、印度支那、フィリピン、とアジアの地図に描かれているどの国々をみても、こんどの戦争で日本の軍隊が侵略しなかった土地はありません。そしてそれらの国の果て果てで、平和な生活の中では勤勉な市民であり、思いやりのある若者たちでもあった数十・数百万の人々が、軍の力で気を狂わせられていなかったら、決して行わなかった残虐の数々を強いられました。その軍隊が壊滅した時、軍隊は同じその残虐さで数十万の人々をジャングルや山嶽の間にすてて餓死させ、白骨としました。